パタゴニア8 ウシュアイア ミニSL
こんな景色の中を世界で最も南を走る列車、ミニSLは進みます。
その間、スピーカーでスペイン語と英語での説明があります。が、日本語はないので、小冊子をくれます。これがなかなかいい。
でも景色も見たいし、大変です
面白いので概要を…
1800年代の終わり頃フエゴ島には原住民の集団が住んでいました。(写真はその家の再現)
マゼラン海峡の発見により、この辺りが世界中から注目されていました。(まだパナマ運河が出来ていない)アルゼンチン政府はこの土地の領土を主張するため、一番効果的な方法として、国民を移住させる事にしました。
1830年にここに刑務所(流刑地)を作る法律が提出され、1896年ウシュアイア再犯刑務所が設立されました。その時代の刑法による死刑一歩手前の重い禁固刑の囚人達でした。
囚人達の手で刑務所の建設、それから物資を運ぶ為の列車のレールの建設がはじまり、1909年最初の鉄道が登録され運行が始まりました。囚人列車として知られ、囚人達を作業の場所へ運びました。
一番上の写真の切り株は当時(100年前)囚人達が切った木の切り株です。こんな風景が延々とつづきます。
このような森だったところを、囚人達が木を切ったので右の様な平地になりました。
平地を作っているのではなく、たきぎとして刑務所のストーブや台所で使われたり、電気を起こすのに使うため木を切っているのです。
漫画でよく目にする囚人のイメージ通り、この地方の厳しい気候にそぐわない服を着て(しかも囚人の典型的な縞模様)足かせでつながれて列車に乗って作業に向かったとの事。
作業中も武器を手にした看守に見張られていました。
でもこの作業は素行が良い者への褒美で、何ものにも代え難い自由だったとのこと。極寒の冬でさえも薪は必要不可欠だったので、作業は続けられました。
多くの囚人が脱獄を試みましたが、寒さと飢えで2〜3日で戻ってきました。(笑)
この監獄は1947年に閉鎖されました。
さて、そうこうするうちに、列車はMACARENA駅に到着。
ここで15分の下車。
ここでは先ほどの原住民の住まいや川、滝など、フォトスポットです。
きのうサンパウロの空港でいっしょに大騒ぎしていたゲイのカップルと再会。(フライトキャンセルのため…詳しくは)
「やっと来たねー」
「うん、やっと!!!」
って大笑い。
再び列車に乗り、しばらくはこんな風景。
100年前に囚人達が切って切り株だけになった野原。
ここは「木の墓場」って呼ばれているんだそうです。
そして上記の写真のような、原生林の林(切り株の野原も元はこうだった)を抜けて
列車は終点「国立公園駅」へ。
当時は全長25キロあったそうですが、現在は7キロのみのこっているそうです。
写真は貨物車両風のトイレです
Madame-Y のHPもあわせてご覧下さい。
HPのメールアドレスは現在使用できません。
コメント欄に鍵付きで書き込みいただければお返事いたします。
その間、スピーカーでスペイン語と英語での説明があります。が、日本語はないので、小冊子をくれます。これがなかなかいい。
でも景色も見たいし、大変です
面白いので概要を…
1800年代の終わり頃フエゴ島には原住民の集団が住んでいました。(写真はその家の再現)
マゼラン海峡の発見により、この辺りが世界中から注目されていました。(まだパナマ運河が出来ていない)アルゼンチン政府はこの土地の領土を主張するため、一番効果的な方法として、国民を移住させる事にしました。
1830年にここに刑務所(流刑地)を作る法律が提出され、1896年ウシュアイア再犯刑務所が設立されました。その時代の刑法による死刑一歩手前の重い禁固刑の囚人達でした。
囚人達の手で刑務所の建設、それから物資を運ぶ為の列車のレールの建設がはじまり、1909年最初の鉄道が登録され運行が始まりました。囚人列車として知られ、囚人達を作業の場所へ運びました。
一番上の写真の切り株は当時(100年前)囚人達が切った木の切り株です。こんな風景が延々とつづきます。
このような森だったところを、囚人達が木を切ったので右の様な平地になりました。
平地を作っているのではなく、たきぎとして刑務所のストーブや台所で使われたり、電気を起こすのに使うため木を切っているのです。
漫画でよく目にする囚人のイメージ通り、この地方の厳しい気候にそぐわない服を着て(しかも囚人の典型的な縞模様)足かせでつながれて列車に乗って作業に向かったとの事。
作業中も武器を手にした看守に見張られていました。
でもこの作業は素行が良い者への褒美で、何ものにも代え難い自由だったとのこと。極寒の冬でさえも薪は必要不可欠だったので、作業は続けられました。
多くの囚人が脱獄を試みましたが、寒さと飢えで2〜3日で戻ってきました。(笑)
この監獄は1947年に閉鎖されました。
さて、そうこうするうちに、列車はMACARENA駅に到着。
ここで15分の下車。
ここでは先ほどの原住民の住まいや川、滝など、フォトスポットです。
きのうサンパウロの空港でいっしょに大騒ぎしていたゲイのカップルと再会。(フライトキャンセルのため…詳しくは)
「やっと来たねー」
「うん、やっと!!!」
って大笑い。
再び列車に乗り、しばらくはこんな風景。
100年前に囚人達が切って切り株だけになった野原。
ここは「木の墓場」って呼ばれているんだそうです。
そして上記の写真のような、原生林の林(切り株の野原も元はこうだった)を抜けて
列車は終点「国立公園駅」へ。
当時は全長25キロあったそうですが、現在は7キロのみのこっているそうです。
写真は貨物車両風のトイレです
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by madame-ym3
| 2012-01-12 11:35
| 旅行:パタゴニア